★★★ 1980年 EXTRA ★★★


 僕が生きた時代で、好き嫌いは別にして、最もハンサムだったのが、男性ではアラン・ドロン、女性では
 若かりし頃のエリザベス・テイラーとグレイス・ケリーでしょう。
 handsome(man)=very attractive face
 handsome(woman)=attractive face with strong and regular features ― macmillan.ed.

 この時代、他にもM・モンロー、B・バルドー、A・ヘプバーンなどいましたが、好みは別にして顔だけ見ると
 彼女たちにはどこかunbalanceなところがあり、整った顔立ちという点ではG・ケリーに軍配が上がるでしょう。

 子供の頃はどちらかというと親しみがあって手の届きそうな感じがするI・バーグマンの方が好みでしたが、
 大人になって美人という観点からみると、その気品・気高さでとても手を出しかねるG・ケリーになります。
 その名の通りGrace=Attractiveです。



♪スイートメモリー



♪裏窓



♪死のロード

 1982年9月13日、月曜日の朝、モナコのグレース王妃と娘のステファニーはロックアジェルにある週末リゾート地グリマルディから
 緑色のローバー3500でモナコへ向け出発した。
 ステファニーは長い夏休みの後、パリの学校へ戻るところだった。次の年にはフォック通りのアパートに移る予定だった。そのため
 後部座席には彼女の衣類が積み込まれていて運転手の乗るスペースはなかった。

 最初の国道153号はモンテカルロ・ゴルフクラブ沿いを走る狭く曲がりくねった道である。
 美しい晩夏の朝で、この先起ころうとするショッキングな出来事の何の予兆も見えなかった。
 ステファニーはフランスの映画俳優ジャン・ポール・ベルモンドの息子ポールと関係があった。
 まだ17才でもステファニーは結婚を望んでいた。グレースがこのことをどう思っていたかは想像に難くない。
 母娘の間でこの問題の口論はなかったのだろうか?


 タービーの村を過ぎると、ヘアピンカーブで減速を余儀なくされる。
 ローバーの後を追走していたトラックの運転手は、ブレーキライトが点滅するのを一度も見なかったと証言している。
 それどころか危険なカーブに近づくにつれスピードを上げたという。
 少しすると、悪魔の呪いと呼ばれるヘアピンで見えなくなった。ローバーは防壁を打ち破り急な崖を転がり落ちていた。
 ステファニーは何か所も傷を負ったが何とか助かった。グレースは意識のないまま病院に搬送されたが翌日亡くなった。

 後日車を運転していたのは、グレースじゃなく、ステファニーだったという噂が流れた。ステファニーは無免許だった。
 しかし事故前にタービー村を横切るのを見た警官は、ハンドルはグレースが握っていたと証言した。
 その場所から事故現場の間で運転を変われる場所はない。1982年9月の悲惨な出来事は、ずっとミステリーのままだ。
 言えるのは世界が失った一人の美しい女性を決して忘れることはないだろうということである。


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